「産地は、このままで継続できるだろうか?」
農業従事者の高齢化と担い手の減少、休耕地の拡大、農業所得の伸び悩みなど、日本農業における喫緊課題が深刻さを増している中、
この切実な1つの疑問から私たちの取り組みは始まりました。
農業は個々の家々の問題から、地域全体で解決すべき社会課題に変わったと、私たちは考えます。
いま行動を起こさなければ、きっと間に合わない。
地域農業の未来のため、次の世代の農業人たちのために、地域のあらゆるチカラを結集して立ち上がろうと決意しました。
私たちは、高知県を代表するみかん産地である「山北」で、これまでにない新しい農業プラットフォームを構築し、
農業維新の始まりを高知県物部川地域から宣言いたします。
山北みかんがバターになるまで 〜誕生秘話〜
私が長い間市役所職員として仕事をしてきた中で、山北みかんは当たり前のように小さい頃からあるもので、
それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
農業とは無縁の生活でしたが、たまたま配属されたの農林課で右も左もわからないまま担当になった「地域産品の6次産業化」。
いろいろ調べてもなかなか先に進んでいる感覚がない中、地元の農家さんと繋がりができ、山北みかんの産地と出会いました。
そこで初めて大きな事実に気づいたのでした。
日常にあったみかんは実はA品、B品、C品と細かく分類され、さらにそのC品は加工用。味は申し分ないのに青果として売れない。
「C品はどこへ行くが?」
「全部県外に買い取ってもらって、やがて他県のジュースになる。」
衝撃的な事実でした。
A品もC品も作る手間は変わらないのに農家さんに入る金額は雲泥の差である。
さらに加工用というわりに、山北にはこれといった加工品がない。
何かが矛盾している。
なんとかしなくては、と心に火がついたのは担当になってからだいぶ時間が経ってからでした。
他の市町村をみれば、ゆずなどを使った加工品で潤ってる地域もある。
なんとか山北みかんの産地、農家さんの愛情こめて育てたみかんを適正な金額で購入できるような加工品を作りたい。
そんな時に出会ったのが、地元のお菓子屋さん「コンセルト」の和田さんでした。
陳列してる商品はどれも地域に根ざした名前が付いている。
仁淀川プリンや、エメラルドフィナンシェなど、地域とコラボした商品が目に止まった。
商品を見るだけで、このお店が地域のために商品開発をしていることがすぐにが分かりました。
そこでダメ元で「山北みかんを使って商品開発をしたいので、アドバイザーになってくれませんか」とお願いをしたのです。
そんな無茶なお願いに、二つ返事でいいよと言ってくださった和田さん。
まずは山北みかんを使ったお菓子作りの教室を開催してもらいました。
わらび餅やみかんピール、いろいろ作ったけどなんかパッとしない。
教室には地域の女性部の方々も参加して下さり、一緒に山北にふさわしい加工品を考えてもらいました。
試行錯誤していた時に、「山北みかんを練り込んだバターはどう?」とレシピの提案を持ってきてくれたのは和田さんでした。
ジャムなどはいろいろあるけど、バターってなかなかない。
女性部の皆さんも楽しみながら試作作りを手伝ってくれました。
やっと加工品として販売にこぎつけた山北みかんバター。
「パンにつけた時のさっぱりとした味わいの中に山北みかんの奥深い風味が感じられる。
そのままスプーンですくって食べてもしつこくない味。これなら農家さんもお客さんも喜んでくれるに違いない。」
やっと6次化担当になって納得のいく仕事ができたと感じた瞬間でした。
山北みかんバターの生みの親でもあるコンセルトのオーナーシェフだった和田さんは、バターが誕生して半年後に癌で亡くなりました。
ご家族に話を聞くと「最後に大好きな地元の香南市に貢献できて良かった」と話していたそうです。
私が最初に声をかけた時には先の未来が分かっていたのかもしれない。
どんなことをしてもこの山北みかんバターを世に出して、産地も、食べてくださる方も皆んな元気になってもらいたい。
ずっとこのバターを残していくんだと強い気持ちが芽生えました。
商品開発をする上で美味しいものを作るのは当たり前。ただそれだけが全てではないと思っています。
代々続くみかん畑を守っている生産者のみなさんの思い、一つ一つ地元で愛される商品を作りたいという女性部の皆さんの思いが
詰まった加工品を作ることは、小さい山北という産地を守りながら、さらに広めていく私たちの大切な役目だと感じています。
そんな熱く、深く、産地を思う大勢の思いが詰まった山北みかんバターをぜひ味わってもらいたい。
そしてあなた好みの食べ方をぜひ見つけてほしい。
そしていつか、山北という産地に足を運んでもらう。そんな関係になれたらこれ以上の幸せはありません。
株式会社山北みらい 代表取締役 堀川里望